私の最愛の漫画です。かつ私にとって最も「危険な」漫画でもあります。それ故に未だに購入・所有するにはいたっていません。この作品を手にしたのは過去2回しかありませんが、そのどちらも私にとっては実に「危険な」時期であり、しかもこの作品を読むことでその危険から逃れられるばかりか、逆にその危険が増していったのでした。
(以下は俗にいう「ネタバレ注意」と「自殺」というショッキングな内容が綴られていますのでご注意ください)
私が初めてこの作品を手にしたのは、確か21歳の頃でした。親友で作品の作者の「信奉者」から勧められて読んだことがきっかけでした。当時の私はうつ病を発症して休学状態でした。最終話の一つ前の回のラストシーン、共に布団の上で手を取り合いながら最期を迎えた一砂と千砂の姿に私は「死の美しさ」を感じ、憧れを抱きました。うつ状態も手伝ったのでしょう。「こんな風に美しい最期を迎えられたらな」と思った私は翌朝に自殺することを思い立ったのでした。
そして翌朝、当時住んでいた学生寮の炊事場に降り立った私は包丁を首に近づけてみました。その際、ふと正面にあった鏡に写った自分の姿が目に入りました。駅のホームに設置されている鏡は投身自殺を試みる人が自分の姿を見て我に返って自殺を思いとどまらせる効果があると効いたことがありますが、私の場合も鏡が結局自殺を予防した形になりました。しかし駅のホームの場合は、自分の惨めな姿を見て「何やってんだ」と思わせるものだと(自分勝手に)解釈していますが、私の場合、鏡を見て思ったことは「何て美しいんだ!」という(極めて)ナルシストな感想でした。そしてその美しい死に際(実際には死んではないのですが)を見れて満足したので自殺を思いとどめたのです。このように、この「羊のうた」という作品は私に「死」というものの美しさを教え、そしてその誘惑を駆り立てたのでした。
2度目に私がこの作品を手にしたのは、ちょうど先週の日曜でした。将来に悲観し、孤独に陥った私は、日がな一日部屋に閉じこもってこの作品を何度も何度も読み返していました。今回は前回とは違ったシーン、千砂が一砂に「私を必要として」と迫るシーンと、一砂に自身の血を与えた後に「満ち足りた気持ちになる」と言ったシーンに共感と、またしても「憧れ」を抱きながら何度も何度も読み返していました。「こんな状態の自分でも必要としてくれる人、特に異性がいて、そしてその人に何かを与えることで満たされた気持ちになれれば」という思いが何度も何度も胸を去来していました。ただ、「死の美しさ」に憧れてその一端に触れることで満たされた気持ちになった前回とは違って、今回は「自分を必要としてくれる異性」に出会うことができずに、今日までずっと閉じこもった生活から抜け出せない状態が続いてました。
というようにこの作品を手にした過去2回とも、私の精神状態は極めて危うい状態であり、かつその状態を一層高めることにもこの作品は寄与したことは確かです。しかし私はこの作品を心の底から愛しています。なぜならこの作品を通じて
- 「死の美しさ」とそれに対する憧れ
- 「自分を必要としてくれる存在を欲する気持ち」と「その存在に何かを与えることで満ち足りた気分になることを欲する気持ち」という
もしかしたら次にこの作品を手にするときも私は「危険な」状態にあるかもしれません。しかし、今は「次にこの作品を手にする時に私は何に憧れ、何を欲するのか、そして何に気付かされるのか」ということに何故かワクワクしています。私にとって、そんな「危険」だけど誘惑に満ちた作品、それが『羊のうた』です。
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